高次脳機能障害と歩む”起き上がり小法師”を絵本にしたい

福島と愛媛を繋ぐ、高次脳機能障害の当事者による物語です。

募集期間終了

高次脳機能障害と歩む”起き上がり小法師”を絵本にしたい

決済タイプ
即時サポート型
現在の達成金額
522,000
目標金額
1,100,000
サポート募集終了まで
×
サポートした人数
68
47%
 
 

このプロジェクトは即時サポート型です

募集期間が終了しました。

募集期間終了

solae(ソラ)

solae(ソラ)

1982年京都府立西舞鶴高校卒業。1984年日本児童教育専門学校卒業。2003年4月~2008年3月愛媛県松山市立八坂小学校図書館支援員勤務をきっかけに、ブックトーク、ストーリーテリングなどの読み聞かせボランティアを行うようになる。2009年5月11日交通事故により高次脳機能障害者となる。2019年現在、愛媛県松山リハビリテーション病院内にて、高次脳機能障害者当事者のグループえこまちメンバーとして読み聞かせライブや、教会の子供向け聖書と親しむ「ソラとこどもたち」や託児所、高齢者向けお話し会を行っている。

このプロジェクトについて

高次脳機能障害を抱えながら書かれた物語「起き上がり小法師」を絵本にしたい

ある日突然の事故により、失語症と高次脳機能障害を抱えることになった筆者。

リハビリを通じながら、福島と愛媛を繋ぐ物語を書き上げました。

同じ障害を抱える仲間の希望になってほしい、この障害について知ってほしい、という思いで

作ろうとしています。多くの方に手に取っていただければ幸いです。

プロジェクト詳細

私と高次脳機能障害

絵本を読むことが大好きだった私。

失語症と高次脳機能障害によって物語を上手に読むことも、覚えることも出来なくなりました。

私は、2009年5月11日自転車で勤め先からの帰宅途中、右側の路地から出てきた車に追突され4メートルほど飛ぶ交通事故に遭いました。中心性頸髄損傷と診断されただけでしたが、左後頭部に強い衝撃を受け、右半身麻痺の身体障害と高次脳機能障害が残りました。10年経った現在も愛媛大学医学部附属病院と松山リハビリテーション病院にて治療とリハビリを継続しています。

リハビリ開始の時、先生に「目標は何ですか?」と問われました。「教会という小さな場所で良いので、もう一度読み聞かせのご奉仕がしたいです。」と答えました。本心の私は「事故前の自分に戻りたい。」でした。叶わない現実だと理解出来ていませんでした。

頭の中に入ってくる情報や会話が、砂を握ってこぼれていく感じです。人の話しを瞬時に理解できにくいこともよくあります。(ゆっくり、はっきりとわかりやすい言葉で話していただいたり、メモに書いて頂くと理解しやすいです。)

昨日の私、今日の私、明日の私。どれだけ覚えているのか不安です。目には見えにくい障害と言われていますから、このもどかしい日常や現状をお伝えすることが難しいです。

見た目は普通でいて、何となくヘン、と感じられる事が多いようです。予測が立てられません。イメージ通りに出来ないとパニックになります。頭の中が真っ白となり、行動出来なくなります。(何事にも、とにかく時間がかかります。)感情のコントールが上手く出来ないこともあります。

何事も、確認することが苦手です。例えば、方向がわからない。目印を見つけられないから、今どこに自分がいるのかわからない。仕事も出来たと思う自分ですが、ミスがたくさんあり、今まで出来ていたことが出来ません。

周囲に迷惑をかけてしまうことが申し訳ないと思いました。自分のことが信じられないことを知りました。とても悲しい現実でした。

人との会話にピンポイントで返せない。一つのことが気になると、それが躓きになり、人との関わりが上手くいかない。(アクセス障害というのだそうです)早口で話されると、頭からこぼれる。理解できない。返答出来ない。何となく聞いて、わかったふりをしているか、ボッーとしてしまう。

そのくせ、何かしらこだわりが強く、会話が成立しにくくて、周囲に迷惑をかけてしまいます。

相手も嫌な気持ちになるため、コミュニケーションが出来づらくなります。

文字は読めます。でも、言葉に発して読もうとしたら出来ませんでした。舌がもつれる。中々適切な言葉を出せませんでした。また、スムーズに話せませんでした。

失語症。構音機能障害だと知りました。(言語聴覚士STの先生による、リハビリを行い改善されてきました。)今でも、読んで理解出来ない場面も多々あります。(操作方法、取り扱い説明書、書類などを読み、理解することが難しいです。)

文章が映像化しやすい事柄だと、割と理解しやすいです。(登場人物を書きだす。特徴などをメモにすると、内容を理解しやすくなりますが、読み終えると、内容がほとんど残らないことが多いです。)

物事を手際よく行うことが困難になりました。片付け、掃除、料理、買い物。当たり前の日常がいつも一日がかり。モノの置き場所を忘れてしまうため、いつも何かしら探しています。

落とし物をしても気づかないため、困ることもよくあります。

日々毎日がリハビリです。周りにはわかりにくく、理解してもらえないためトラブルが絶えません。

孤立してしまう気持ちになります。マイナスなことしか考えられなくなります。

脳が疲れて、体も疲れてしまいます。

先生が「以前と同じようになれなくも、3年、5年と時間をかけてリハビリを続ければ、今よりは必ずよくなりますよ。」

「どんどん悪くなるのではなく、よくなれる!」何と希望に満ちた言葉かと感じました。

「泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある」

(聖書 伝道者の書3章4節)

卓上カレンダーで、この言葉が与えられました。自分にぴったりだと感じました。

理学療法、作業療法、言語療法。沢山の専門分野の先生からリハビリを開始しました。

病院は親切で、優しくて、信頼して安心できる場所となりました。困ったことはソーシャルワーカーさんに相談すると良いことを知りました。わからないことはメモや手帳に書き溜めて先生に相談します。

(自分の困ったことを忘れてしまうので、書き留めておく必要があります。)

病院以外の外の世界は厳しい現実に心折れそうになりました。

グループ訓練が開始されました。同じ障害を持つ人たちと情報交換をしながら、「普通に話せる!困った時の工夫がわかる!」と嬉しい時間が出来ました。

いつの間にか笑顔が増えたようです。

出来なくなったことを数えるより、出来る事を数えよう!

難しい事に困ったら、助けてもらいながら乗り切ろう!

新しい事にチャレンジしてみよう!

失敗は成功のもと。かな?と前向きになりました。

ここまでに、随分長い年月がかかりました。8年~9年位でしょうか?

周りには、優しい人がいます。親切な人もいます。助けてくれる人もいます。

そんな風に助けてもらえることに心から感謝しています。

家族、友達、先生、ワーカーさん、福祉の専門の方。スペシャリストな人たち。

理解しようとして、支援してくれる人たち。

障害を抱える仲間たち。新しい友達。

出会うことのなかった人たちとの出会いにも感謝しています。

ゆっくりで、自分ペースで

「頑張ろうやねぇ。」「うん。頑張ろう。」と励ましあえる幸せがあります。

「たくさん笑えるって大事!笑ってなさい!元気になれるでしょ?」友達に言われました。

心の中で、「せやねっ!(そうだね)」

「んだ。んだ!(そうだね)」という言葉が浮かびます。

今日も起き上がり小法師の笑顔で「頑張っつぉ!」の気持ちです。

 

しかし高次脳機能障害は100人いたら、100通りの症状があるのだそうです。

みんなが私と同じではありません。

「起き上がり小法師」が生まれるまで

私は松山市内にある松山キリスト教会のクリスチャンです。教会の須藤牧師は福島県耶麻郡西会津町出身でした。事故受傷後、須藤牧師から、会津の郷土民芸品の起き上がり小法師を「これは、何度転んでも必ず起き上がるんですよ!」と言われながら貰いました。

 

2018年、北海道函館市に住む母へ、絵手紙のモチーフに「起き上がり小法師」を描き送ったことがきっかけとなり、高次脳機能障害当事者の事や気持ちを書いた物語が生まれました。

思いがけないことで、当たり前の日常からそうではない事になってしまうことを経験し、今まで気付かなかった事に気づき、見えなかった事が見えるようになりました。

心が折れそうになったり、現実逃避したい自分、障害を認めたくない、受け入れられなかった自分の心の在りようが、時間の経過と共に変化出来たからこそ、生まれた物語です。

大切なものを失ってしまう苦しみや、日常のしんどさを抱える人たちへ「こんな私も乗り越えられたよ。心が立ち上がれたよ。」と思い、当事者の周囲の方々へも理解や協力してもらえることの大切さや感謝の気持ちを伝えたいと、祈りながら書きました。

高次脳機能障害当事者の会「えこまち」の活動について

松山リハビリテーション病院が集団リハビリテーションとして行っていた高次脳機能障害当事者によるグループ訓練に参加するようになりました。

グループ名を決めようとなった時に、メンバーそれぞれが出した言葉から

愛媛県在住で(えひめの「え」)

コミュニケーションを取りながら(コミュニケーションの「こ」)

学んで(まなんでの「ま」)

チャレンジしたい(チャレンジの「ち」)

頭文字をとって「えこまち」と名付けました。

次第に読み聞かせは脳のリハビリに良いのではないかと、仲間を募ったところ、読み手、楽器演奏、英語など個々がしたいことを一つにまとめて、楽器のBGM付き読み聞かせを行うようになりました。外国の絵本で原書と日本語訳を交互に読みあうことにも挑戦するようになりました。「起き上がり小法師」は英語が好きなメンバーに英訳もしてもらいました。

始めは院内託児所へハロウィンパーティーのイベントとして、子どもたちの前で、読み聞かせや童謡を歌うなどしました。

医療関係者の研修会や、障害者のワークショップの場などでえこまちライブを行うようになり、周囲の協力の元“えこまちライブ”を愛媛県のイベント等でもスタートさせました。

この様な活動を続けるうちに、自分たちの気持ちに重なるような物語を選ぶことが多くなり、オリジナルの「起き上がり小法師」というタイトルの物語が出来ました。「えこまち」の活動の場で発表すると、「気持ちがわかる。」といって涙するメンバーもいました。

こういった活動が、メンバーにとっても自己肯定感に繋がり「生き生きとしてきた。」「キラキラしてきた。」と周囲からも言われるようになることもありました。

2018年9月に松山市主催のイベントにて、えこまちライブ参加の機会が与えられ、「起き上がり小法師」をプログラムに加えることになりました。

理学療法士中田先生(ロックバンド、ジャパハリネットのギタリスト)による、BGMも作曲され、当日は中田先生のアコースティックギターのBGMにのせながら物語を発表することとなりました。

当日の会場では、「えこまちのみんなが頑張っている姿に感動した。」「起き上がり小法師を聞いて、日々色々あってしんどいなぁ。と思うことがあるけれど、まだまだ頑張らんといかんなっ!と思えました。」「起き上がり小法師の本はどこで売っているの?」など様々な声をかけられました。

その後、2018年12月松山リハビリテーション病院の院内研修会にて、えこまちメンバーによる、受傷してから現在に至るまでの発表とえこまちライブを行いました。

2019年3月愛媛キワニスクラブのチャーターナイトにて「起き上がり小法師」の朗読と「君は愛されるため生まれた」を歌いました。

2019年8月松山リハビリテーション病院高次脳機能障害研修会オープニングにて同様のえこまちライブを行うなど、様々な場所で「起き上がり小法師」の朗読をしています。

2019年9月現在も月に1度6名~7名ほどのメンバー集まり、交流を続けています。

えこまちの活動を通して、「笑顔が増えた」「落ち着いてきた」「参加できることを、楽しみにしている」「何かしら頑張ろうとしている」などとメンバーや家族さんから言われています。

えこまちのグループ活動は、メンバーにとって、お互いが分かり合えて、新しいことにチャレンジしながら(それぞれのリハビリ)、楽しい経験が出来る心地良い居場所となっています。

ご家族の理解や支えなしには出来ないこと。

松山リハビリテーション病院の支援がなければ存在しなかった、高次脳機能障害支援拠点病院であり、リハビリの専門病院だからこそ、当事者のための新しい試みが実現出来ていると感じています。

当事者自身が、好きなことに取り組み、ひとつのカタチに出来ることが、それぞれの高次脳機能障害にとって、思いがけないリハビリ効果が表れています。これは、「芸術的な事に取り組む事で、脳の働きに何らかの良い効果が表れているのではないか。全国的にも珍しいモデルケースではないか。」と愛媛大学医学部附属病院の臨床心理士 小森先生から助言を貰いました。

音声訓練前と後、の私の様子です。

https://youtu.be/Rk2_x14WMg4

https://youtu.be/0K11G9d1CPc

小森先生

理学療法士であり、ジャパハリネットgt中田さんの応援もいただいています

【応援メッセージ】

私は「起き上がり小法師」のプロジェクトを応援します

『そら』さんとの出会いは、交通事故から救急病院での治療を経て、残存する高次脳機能

障害の評価のために受診された10年前にさかのぼります。最初にお話をうかがった時の、

これまでの経過を一つ一つきちんと話される様子からは、どこに問題がおありなのか専門

家の私にもちょっと掴むことができませんでした。しかしご本人はとても困っておられる

ことが一つありました。それまでスーパー主婦として多くの家事をこなしながら、子ども

たち相手に沢山読み聞かせていた得意の「絵本」や「お話」が、どれだけ頑張っても頭に

入らなくなり、声を出して読むことすらもおぼつかなくなったということでした。試しに

、「星の王子さま」の一節を読んでもらいました。すると、会話では予想もつかない途切

れ途切れのたどたどしい声となり、先に読み進めていくことができません。まるで歌を忘

れたカナリヤです。これぞ彼女の高次脳機能障害だったのです。

 このようなとても限定した場面で現れる障害に加え、生活面でも以前のように沢山の仕

事をこなせなくなった『そら』さんの苦しみは、なかなか周囲から理解を得ることができ

ませんでした。その長い険しい道のりの中にあってもけっして希望を失わなかった『そら

』さんは、ついに独自の「読み聞かせ」の技を編み出されたのです。また、以前にはなか

った仲間たちとの楽しい活動の場である『えこまち』で、さらにその声の輪は広がってい

きました。そこで再び取り戻した声は、以前の誰にも負けない華麗な早口言葉の連続では

なく、『そら』さん独特の優しさと癒やしに満ちた心地よい語りの世界でした。歌を忘れ

たカナリヤが、再び歌声を取り戻す過程で遭遇した出会いの体験の中から生まれた「起き

上がり小法師」の読み聞かせを通して、この希望と回復の過程を一人でも多くの方々に知

っていただき、また同じ高次脳機能障害で悩む仲間たちとともに苦難からの解放の調べを

口ずさんでいきたいと願っておられます。これから大人へと育ってゆく子どもたちにも、

きっと勇気を与える絵本となることでしょう。福島の郷土玩具にちなんだ「起き上がり小

法師」という絵本づくりのプロジェクトを私は心から応援します。

 

十全ユリノキ病院 心理室長 小森憲治郎

 

【応援メッセージ】

私は松山リハビリテーション病院で理学療法士として従事しております、中田衛樹と申します。同時に趣味としてジャパハリネット(1999~2007、2015~)というロックバンドでギターを弾いています。当院が高次脳機能障害支援拠点機関ということもあり、えこまちの皆さんの活動のお手伝いをさせていただいてます。このサークルは、当院でリハビリをして退院された患者さんや、高次脳機能障害支援拠点機関であることで関わるようになった方々やそのご家族で構成されています。メンバー各々の個性や特技を生かして、音楽の伴奏や合唱、絵本の読み聞かせや英語朗読など、色んなチャレンジをしていくことが主な活動内容です。

 

そのような経緯もあって、『起き上がり小法師』という絵本の読み聞かせBGMのお話をいただきました。この絵本はえこまちのメンバーであるソラ氏の実体験を基に、受傷から入院、リハビリ、社会復帰を通して、その経過を物語にしたものです。読み聞かせをするのに、是非ともBGMをつけてほしいと直接依頼を受けまして、やったことなくて不安でしたが、何事もチャレンジしていくえこまちの皆さんの姿勢に胸を打たれ、快諾しました。

 

ここで、少し私自身のお話をさせてください。私は19歳の時から音楽活動を始め、20歳でジャパハリネットに加入しました。その後インディーズでの活動を経て、2004年『哀愁交差点』という曲でメジャーデビューを果たしました。その後2007年に解散し、8年間の音楽生活に終止符を打ち、2008年に愛媛医療専門大学校(現 河原医療大学校)理学療法学科へ入学します。29歳の時でした。この時に、一生忘れることのできない想いを味わうことになります。学校の入学願書を書いている時のこと、自分の経歴にバンドのことを書く欄がどこにもなかったのです。なかなか分かってもらえないことだとは思いますが、音楽の世界で成り立たせるということは、並大抵のことではできません。一生懸命やっている自分達を嘲笑する人もいる、冷やかしで近づいてくる人もいる、バンドマンと聞くだけで見下してくる人もいました。そんな周りの冷たい反応は、バンドが売れ始めると手の平を返したように変わっていきます。音楽は難しい。才能だけでもだめ、努力だけでもだめ、上手い人なんて掃いて捨てるほど世の中にはいる。ただ一つ、時代に選ばれないとだめなんです。そのために、泥水すすりながら、地べたはいつくばって、故郷に背を向けて、一筋の光明に向かって走って行かないといけなかった。良いか悪いのか、前がどこか分からなくても、とにかく走るしかなかった。そんな無我夢中で駆け抜けた8年間がどこにも書けなかったんです。まるで、社会から拒絶されたような、否定されたような衝撃でした。

2012年4月から理学療法士として松山リハビリテーション病院で第2の人生を歩み始めた私は、一つの目標を立てます。それは、「理学療法士としての経歴にロックバンドのギタリストという付加価値をつけた活動を残していく」ということです。あの8年間を、誰からもどこからも認められる時間にする、それをどんな形でも良いから残していく、例え小さなものでも、その一つ一つをしっかりと積み上げていって、誰にも真似できないオンリーワンな理学療法士・ロックギタリストになろう、そう心に誓いを立てました。

ソラ氏からBGM制作の打診を受けた時、正直に嬉しかったです。自分の今までの活動や心が、少しだけ認められた気がしました。初めて絵本の文章を読んだ時、ソラ氏の心の葛藤や叫び、味わった悲哀や未来への希望、今を生きる幸せなど、その言葉の一つ一つに様々な感情が込められていました。それらを決して取りこぼさないよう音に想いを込めました。何よりご本人がBGMの出来に大変満足していただいたことが、頑張って作ってよかったと報われる瞬間です。

これからどのように発展していくのか分かりませんが、自分のできうる限り、全力のオンリーワンを提供していこうと思います。この『起き上がり小法師』という素晴らしい作品が、一人でも多くの方に届きますように。

松山リハビリテーション病院 理学療法士 中田衛樹(ジャパハリネットgt) 

 

 

 

福島と愛媛の繋がり 

絵本のきっかけとなった須藤牧師のこと、起き上がり小法師

福島県耶麻郡西会津町出身。インマヌエル松山キリスト教会(プロテスタント教会)牧師として松山に47年伝道を続けています。

生家は、戊辰戦争前から百姓として会津に住み暮らして来ました。

仏教徒の家庭で育ち、子どもの頃は、旧暦の正月前になると、徒歩40分程の町まで出かけて、初市で起き上がり小法師を年の数だけ買い求め、家の仏壇に飾っていたそうです。

社会人になり、クリスチャンとなってから、起き上がり小法師は会津の蒲生キリシタン大名が藩士に作らせたことが始まりだったことを知り、長い冬や厳しい環境の福島県にとって、「厳しさに耐えて、何度も起き上がろう。」というメッセージが込められ、経済活性化を祈る中において、与えられた智恵を持って考案されたのだろう。と理解したそうです。

今では、帰省の際に起き上がり小法師を買い求め、病床にある人を励ましている素朴なメッセンジャーとしてプレゼントし続けているそうです。

貰う人たちは、手にとってにっこり笑うのだそうです。

3.11後は毎年1~2回程帰省をして、現状を見聞きしながら、自分に何が出来るのだろうか?どんな風にしたら良いのだろうか?と思いを馳せながら祈る日々とのことです。

小説「坊ちゃん」に登場する、山嵐は会津出身です。改めて、読み返してからの牧師と私の会話です。(山嵐の性格やエピソードをメモにまとめながら、牧師と話しました。)

ソラ:小説「坊ちゃん」に登場する、山嵐が会津出身だとご存じでしたか?。

須藤牧師:えぇ。知っていますよ。何故なのかなぁ?と不思議に思って考えてましたよ。

ソラ:山嵐という数学の先生は、とても親切で、学校卒業間もなく松山にやってきた坊ちゃんに下宿先を世話してくれたり、同じ数学の後輩教師となった坊ちゃんに何くれとなく面倒をみたり、助言をしてくれて、生徒からの人望も厚い先生、という人柄のようでしたよ。

ただ、真面目な分、教頭先生の赤シャツとは対峙していて、結局でっち上げの事件が原因で退職を迫れてしまうのですよ。

須藤牧師:それは、会津魂ですね。昔から「什の掟(じゅうのおきて)というものがあり、「ならぬことは、ならぬ。」という精神が山嵐の中に生きづいていたということでしょうね。ある意味、真面目過ぎて取っつきにくい、ということだったかもしれませんね。

そら:なるほど!それだからこそ、正義感に溢れた坊ちゃんとの名コンビとして、最後のシーンでは、山嵐同様辞表を出して、二人一緒に船に乗り去るということに繋がったのですね。「坊ちゃん」の物語を、何度も読み返しながらそれぞれの個性豊かな登場人物を味わうことも、また楽しみなことですね!

福島の絵本作家、石井久美子さんとのこと

私は「起き上がり小法師」を書きながら、絵本という形をイメージしていました。

絵本として、読み聞かせを行いたい。という希望の中で、優しく、繊細で愛情に満ち溢れている石井さんの絵と出会いました。

福島県に在住の石井久美子さんに図々しく、絵本の挿絵をお願いしました。

石井さんは、ご自身の絵から抜け出てこられたようなふんわりとした優しい雰囲気に包まれた、素敵な方でした。

石井さんから、快諾頂くことが出来奇跡のようです。

私は、北海道函館市生まれで、中学3年生から父の仕事の関係で転勤生活のため、全国あちこちと引っ越しをしました。

今は、母の故郷愛媛県に人生の半分以上の月日を過ごしていますが、様々なかたちで福島県とのご縁を感じています。

クラウドファンディングを達成してやりたい夢

私事ですが、函館に在住の母が90才です。何度も脳卒中による発作を繰り返していますが、私が「起き上がり小法師」という物語を生まれたことを、一番喜んでくれています。絵本というカタチにして、元気なうちに母へ届けたいです。

この絵本を読み聞かせとして、東北大震災被災地である福島県内や西日本豪雨災害を受けた愛媛県の被災地域で行いたいです。えこまちライブを行うことによって、高次脳機能障害について理解してもらう普及啓発活動をしながら、障害を持つことになった自分たちが、また新しい自分として歩みだした姿を通して、パワーを届けたいです。

えこまちメンバーが英訳してくれた「起き上がり小法師」も出来ています。

とても英語が好きで、英語教師の資格を持ち、留学経験のあるメンバーがいます。そのメンバーが(事故後初めて)辞書を開きながら、頑張って英訳してくれました。何かのカタチに表したいです。

2019年8月19日にTV放送された「FNSドキュメンタリー大賞 福島県双葉町~原発とともに生きるということから~」を見ました。

その後、福島を訪れることになり、重松清著「希望の地図」をリュックに入れて移動しました。わかりやすい文章を書かれている著者の作品であることと、タイトルに惹かれ購入していた本でしたが、内容が3.11から始まる物語でドキュメントをベースに書かれていました。

福島への手引き書を手渡されつつ、訪れたように感じました。

見えない糸に繋がれて、導かれているように思っています。

絵本を通して全ての方の慰めや希望になれば良いなと思います。

そんな日がくることが夢となりました。

リターン一覧

3,000円サポートチケット
出来上がった絵本を、お手紙と共にお届けさせていただきます。
2020年4月以降を予定しております。よろしくお願いいたします。

絵本とお礼のお手紙

出来上がった絵本を、お手紙と共にお届けさせていただきます。
2020年4月以降を予定しております。よろしくお願いいたします。

数量限定:
上限なし

19人がサポート

5,000円サポートチケット
出来上がった絵本と、作者自身による読み聞かせ会のご招待をさせていただきます。
読み聞かせは、2020年4月~6月に愛媛県での実施の予定です。
※会場までの交通費などはご自身でご手配ください。
※読み聞かせ会の日程が、ご自身のご都合で参加できない場合には、当日の模様を動画にてお送りさせていただきます。
※絵本の発送は2020年4月以降を予定しております。
※写真は作者による他の読み聞かせの様子です。

絵本と読み聞かせ会in愛媛へのご招待

出来上がった絵本と、作者自身による読み聞かせ会のご招待をさせていただきます。
読み聞かせは、2020年4月~6月に愛媛県での実施の予定です。
※会場までの交通費などはご自身でご手配ください。
※読み聞かせ会の日程が、ご自身のご都合で参加できない場合には、当日の模様を動画にてお送りさせていただきます。
※絵本の発送は2020年4月以降を予定しております。
※写真は作者による他の読み聞かせの様子です。

数量限定:
上限なし

3人がサポート

5,000円サポートチケット

絵本と読み聞かせCD

出来上がった絵本と、ジャパハリネットgt中田さんが音楽を入れてくださる、作者による読み聞かせCDをお届けいたします。
※発送は2020年4月以降を予定しております。

数量限定:
上限なし

37人がサポート

20,000円サポートチケット

絵本10冊とお礼のお手紙

出来上がった絵本を、施設などでまとめて応援いただける方はこちらのリターンにて、よろしくお願いいたします。
※絵本の発送は2020年4月以降を予定しております。

数量限定:
上限なし

9人がサポート

5,000円サポートチケット

絵本と読み聞かせ会in福島へのご招待

出来上がった絵本と、作者自身による福島での読み聞かせ会にご招待させていただきます。
※福島での読み聞かせの会は2020年4~6月で実施予定です。
※会場までの交通費などはご自身でご手配ください。
※読み聞かせ会の日程が、ご自身のご都合で参加できない場合には、当日の模様を動画にてお送りさせていただきます。

※絵本の発送は2020年4月以降を予定しております。

数量限定:
上限なし

0人がサポート

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